宮司挨拶

「終戦七十年を終えて」

今年の三月九日、全国の護國神社五十二社の宮司四十七名、宮司代理五名が、天皇陛下に対し御礼の言上のため皇居内長和殿に参内しました。
それは、去年七月に終戦七十年を迎えるにあたり、全国五十二社の護國神社に対し賜りました幣帛料御下賜に対する御礼で、これまで十年毎の終戦の年に行なわれてきました。
今回も全國の護國神社で組織する全國護國神社會を代表し、福井県護國神社宮司の宮川脩会長が代表の御礼言上を行い、それをお受けになられた天皇陛下より次のお言葉を賜りました。
「終戦七十年を迎え、昨年は皆様にとって心の重い一年であったと思います。国のために亡くなられた方々と、その御遺族のために尽くしていただいきご苦労に思います。これからもお体を大切にされ、高齢になった御遺族の心の支えとなりますよう、それぞれのお社の御奉仕に励まれて下さい。」
今回、陛下より賜りましたお言葉は、戦没者をお祀りする私達護國神社の神職にとって大変有難く、また、深い意味があるお言葉だと思われます。
天皇皇后両陛下におかせられましては、これまで慰霊のために国内外各地を御巡拝されてきました。
平成六年二月十二日に米軍との戦いで日本軍が玉砕した硫黄島を訪れ、日米の戦没者を慰霊なされました。
そして終戦から五十年の平成七年には、七月二十六日に長崎市の「平和祈念像」、その翌日に広島市の平和記念公園の「原爆慰霊碑」をそれぞれ訪れになり、原爆犠牲者に対し供花をなされました。また八月二日に糸満市の「国立沖縄戦没者墓苑」にて、沖縄戦での犠牲者に対し礼拝いただき、翌日三日に「東京都慰霊堂」にて東京大空襲での犠牲者に対する追悼をなされました。
終戦六十年の平成十七年六月二十七日、二十八日には、サイパンを訪問され、まず先の大戦にて散華された方々を祀る「中部太平洋戦没者の碑」の他に、主に民間人が身を投げたスーサイドクリフやバンザイクリフにて黙祷を捧げられ、公表された予定にはなかった「おきなわの塔」と「太平洋韓国人追念平和塔」にもお立ち寄りになられ御拝礼されました。
終戦七十年の平成二十六年に再び沖縄、長崎、広島へと巡拝されております。特に六月に訪問された対馬丸の遭難学童を祀る那覇市若狭に建立されている「小桜の塔」へは、陛下と同年代の犠牲者として陛下の強いお気持ちからの御参拝であったと伺っております。
また、今年一月二十六日から三十日にかけて国交正常化六十周年に際しご訪問なされたフィリピン共和国はまだ記憶に新しく、去年の平成二十七年四月八日から九日にかけてもパラオ共和国と激戦地であったペリリュー島へご訪問されています。
このように天皇皇后両陛下におかせられましては、終戦から節目となる年に、国内外の激戦地や多くの犠牲者を出した地にて慰霊巡拝をなされてきました。
そして、いずれの地に於いても御遺族や戦争体験者の方々と直にお話をする時間を大切にされ、予定時間をオーバーすることも度々あったとのことです。
 両陛下のご訪問の後に、それぞれの御遺族や戦争体験者の方々からは、「戦争で犠牲になった肉親や戦友達がさぞかしお喜びになっているであろう」という言葉があり、そこから心からの感謝の気持ちが伺えます。 陛下のお言葉にありますように、七十年間亡くなった方々を想い続けてきた御遺族方の歳月の重さを我々護國神社の神職は、一時も忘れてはならないと思います。そして七十年前の戦争で犠牲になった方々の「想い」も忘れてはなりません。
 今も当社には七十一年前の沖縄戦当時のことを昨日のことのように思い出しながら参拝される方がいらっしゃいます。
先日もお孫さんに車いすを押され、九十八歳の沖縄出身の戦友の方が軍隊時代の帽子を被り、戦友に語りかけるようにお参りされていました。また、毎年御命日に、わざわざ北海道から三世代でお参りにこられる御遺族の方もいらっしゃいます。
これからも護國神社は、御遺族や戦友、戦争体験者の方々にとって心休まる場であるとともに、戦争で犠牲になった方々が一番望んでいた「平和」を象徴する神社でありたいと考えています。

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